アヒンサー(非暴力)について
ヨガにおけるアヒンサーは、インド独立の父・マハトマ・ガンディーでも有名な言葉です。
非暴力や不殺生という意味で使われています。
ヨガにおけるアヒンサーは、ただ単に暴力を振るわないというだけでなく、かなり広い意味で使われています。
行為においてだけでなく、言葉や考え・思いにおいても他を傷つけてはいけないのです。
行為においてだけなら、何とか私たちの日常生活においても守れるかもしれません。ただ、言葉や考え・思いを含めてとなるとかなり難しいでしょう。
言葉を考えてみると、私たちは何気なく、無意識に他人を傷つけるような言葉を投げかけていることがあるのかもしれません。自分では意識していないかもしれませんが、相手は傷ついているかもしれません。
無意識にそういった言葉を発しているというところが問題です。もし言葉によって相手を気づつけているのが分かっていれば正していくことができますが、無意識だとそれができません。自分で理解していれば正すこともできますが、無意識だとどうしようもありません。
言葉は簡単に発することができるので、行為や態度以上に注意が必要です。知らない間に誰かを傷つけないように、何か言葉を発するときは意識的に発するようにします。
思いや考えによるアヒンサーとはどういったことでしょうか?
相手を傷つけてしまうような態度や行為、また言葉を発する原因は、自分自身の日々の思いや考えです。したがって、普段から自分はどのような思いがあるのか、自分はどのような考えをしているのかに、意識的だあることが大切です。
思いや考えは自然に浮かんでは消え、また浮かんでは消えと、言葉と同じように、注意しないと知らないうちに悪いもので埋め尽くされてしまうかもしれません。そうなってしまうと態度、行為、言葉が悪いものになります。
間違った思いや考えからは、間違った態度、行為、言葉が生み出されます。同じように正しい思いや考えからは正しい態度、行為、言葉が生み出されます。ヨガではなぜ心(思いや考え)を重視するのかが分かります。
別の観点からアヒンサーを考えてみると、他を害するのとは反対に、他の人々に役に立つようなことをすればよいということになります。
これは、もちろん利用されるという意味ではありません。 誰かが悪いことをしようとしている時に、それを助けることは完全に間違っています。
例えば、公共のトローリーバスのように、誰もが等しく利用できる、誰もを等しく助けるという態度が大切なのです。
さらに、アヒンサーはベジタリアン(菜食主義)へとつながっていきます。
肉食することは、まさしく直接的ではないとしても、間接的に生き物、動物を殺すことです。動物を殺すような食事は止めなければなりません。
インドのアシュラムなどで生活するとわかりますが、食事はすべてベジタリアン料理です。 肉類がなくてもバラエティさは豊富で特に苦になることはありません。
別に肉や魚を食べなくても、私たちは食事を楽しむことができます。
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